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無塩鰹
 枕崎の情報など。後、趣味のものなど。
寺坂 吉右衛門
枕崎の伝説16

「寺坂 吉右衛門」
 赤穂浪士の一人であった寺坂吉右衛門(足軽)が、鹿篭の金山に逃れてきたという伝説がある。
 頃は、宝永・正徳(1704~1715)のころで、鹿篭金山の最盛期であった。彼は村里から少し離れた一軒家に住んでおり、若い者に読書や習字を教えていた。
ある日教え子達に渡してあった習字の手本を、別に書きかえてやるといって取りあげたが、それ以後、寺子屋にもどこにも、姿を見せなくなった。村人達は不審に思いながらも、家には毎夜明かりがついていたので、家に引きこもっているものとばかり思っていた。数日たってから、懇意にしていた人が、吉右衛門の家を訪ねてみると、すり鉢に灯油を入れ、長い芯を浸して灯火にし、障子には「日六」と大書してあった。
 吉右衛門は、幕府が島津藩にあずけ、島津藩主は、鹿篭金山に送ったものであった。金山はその頃、藩の直轄地とされていた。あずかり人の姿が見えなくなったので、金山の役人達はあわてふためいて、藩に急使の飛脚をしたてて飛ばした。役人達ははじめ、「日六」の意味が解けず困っていたが、記録所に知恵のある人がいて、日はタチ、六はノクつまり「立ち退く」の意味であると解読した。出水の今川というところに、吉右衛門の墓があるというが、立ち退いて帰国の途中、出水で死んだのだろうといわれている。「播磨すぎはら」「捨小舟」「鹿篭の水」などは、彼の著書といわれ、その一部はまだ残っている。

「枕崎市誌」伝説・民話とことわざの章より。
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「鹿篭 五郎」
枕崎の伝説15け?

「鹿篭五郎」
 戦国時代、鹿篭五郎という豪族が、桜の城にいて近郷と勢力を争っていた。あるとき、加世田勢を誘うて水流の瀬戸で激しく戦い、ついに敵をみじんに打ち破ったという。その附近に、いまも首塚・小陣という地名が、残っている。

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立神行
枕崎の伝説14

「立神行」
 秦の始皇帝(前258~前210)が、心のままにならぬものが、ただ一つあった。それは不老不死の願いを、かなえ得ないことである。ある日、寵臣の一人が「東海の彼方に仙人の住む国があります。その国の人民はみな長寿でございます。それはその国に仙人の神様がいて、不老不死の霊薬を、お持ちのためだそうでございます。その薬をお探しになってはいかが。」進言したので、皇帝は「それは結構だ。」とただちに賛成し、仙人へのお土産として、金銀の宝、金製の織機、それに金鋳の仏像など、様々な宝物を船に満載させ、秦の港からすぐ出発させた。まず着いたのが、枕崎の立神岩であった。
 それから船はふたたび、目的地に向けて航海を続けようとしたが折り悪く台風に遭い、船は危険にさらされた。このありさまを見て、附近にいた海賊どもが、さっそくその船を襲撃し、船に積んでいた金銀は皆で分けてとり、「ごってん」は、後の祟りを恐れて海中に投じた。それはのちに、近瀬に流れ寄ったといわれている。金製の職機も海中に捨てられ、行方不明になった。

 それ以来、立神の瀬戸を、女が船に乗って通ると、必ず沈没すると恐れられており、また漁船が近瀬につきあたると、かならず不漁でであるといわれている。それは「ごってん」を発見して、捧持していた腰元の姫が、恨みをのんで死んだので、その祟りがあるのだといわれている。

 昔、3月3日に、老若男女がこの立神附近に舟を漕ぎ出して、貝を取ったり、持ち合わせの団子菓子を出し、三味線を弾いたり踊ったりしたのは、この若姫の霊を慰めるために、行われたのだという。

枕崎市誌」伝説・民話とことわざの章より。

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モタン・ワスケの金山発見
枕崎の伝説13

「モタン・ワスケの金山発見」
 昔、越中(富山県)の国に、「モタン・ワスケ」という人があった。ちょうど、そのころ、モタンの家は落ちぶれて、一日の生活にも困るほどであった。

 モタンはひともうけしようと、薩摩に渡ってきて狩人となり、今の金山地方へいのしし射ちに行っていた。ある日、いつものように山中を歩きまわったが、いのししらしいものに一匹も出会わなかった。とうとう日が暮れかかった。一日中、足を棒にして歩きまわったモタンは、疲れてススキの生い茂っている傍らの石に腰かけたまま、ふと居眠りをし始めた。

 すると、どこからともなく、「和助、和助」と呼ぶ声がする。「お前の腰かけている石の下には、金がザクザク出るから取れ。」という声と共に、白い衣服をつけた老人が御幣に乗って、どこともなく消えてしまった。はっと思った和助が「神様!」と叫んだ自分の声に目を覚ました。夢であったのだ。「此の石の下には金があるに違いない。」こう思った和助は大喜びで越中に帰り、金堀りに馴れた坑夫を雇って、大々的に作業を始めた。まさしく夢の通り、石のしたからは金が出てきた。

 和助は、さては、あの老人は山の神であったのだと深く感謝し、これをお祭りすることにした。ちょうどこの日が正月の十六日であった。

 和助は後大金持ちとなり、多くの山を買い益々栄えたという。今でも、正月十六日を「山神祭り」の日として、お祭りをしている。

 ◎モタンワスケは、有川和助という人であったとも言われている。


「枕崎市誌」伝説・民話とことわざの章より。

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「金山発見の由来」
枕崎の伝説12

「金山発見の由来」
 天和元年(1681年)、鹿篭の有川夢宅が、遊猟に出かけたとき、ヘゴ山字(今の金山)で、桜の花を折り取ろうとして、金鉱を発見した。それで、後年この地を金見字と、呼称するようになったという。まもなく、河原でまた金鉱を発見した。今なお河原には、夢宅湧きと名づけた旧鉱がある。

 また一説に、夢宅がいのしし狩りに出て、夜いのししの出るのを待っているとき、神託を受けて、金鉱を八朔谷で発見したといわれている。
 金山にある夢宅堂は、この有川夢宅を祭ったものである。

枕崎市誌」伝説・民話とことわざの章より。

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唐浜
 枕崎の伝説11
「唐浜」
 唐浜は、板敷集落を南へ2km足らずの海岸である。
 ここはその昔、唐人がこの沖合いで遭難して、乗組員の大部分が溺死したが、うち男女4人が、ここに泳ぎついた。
 この4人は、海事を断念し、ここに新しく農生活を開始した。その後子孫の増加につれて、一つは豊留集落に、一つは板敷集落に、新しい郷里をつくり、今日にいたったという。それでこの浜を唐浜というようになったという。

 また一説に、この人たちは唐人ではなくて、昔、平家敗残の余党がここに落ちのび、世をはばかって、唐人と偽称したものであるという。それは、この地方の人々の使用する語脈により、あるいは、鎌倉屋敷の跡という場所のあることによって、推察することができるというものである。


枕崎市誌」伝説・民話とことわざの章より。
鎌倉屋敷
鎌倉屋敷。

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